
経歴
ここで私の生い立ちを振り返ってみたいと思います。
まずは両親からの影響を一番たくさん受けた子供時代から。1974年3月、埼玉県川口市芝で私は生まれました。川口市芝に現在もある、よしの歯科医院を私の父親が開業したばかりのころで、自宅も同じ川口市芝にありました。私の父親は技工物も一部自分で製作しており、鋳造(川口市のシンボルでもある金属の流し込み作業)や、石膏の流し込みを診療後の夜に見せてもらうのが楽しかったことを覚えています。また、診療中にたまに立ち寄ると、多くの患者様から感謝されているのをみて、将来自分も歯科医師になりたいと、幼少の頃から思っていました。父は非常に厳しく、幼少期にはよく怒られて泣いていましたが、厳しくしつけられたことで強いメンタルが育めたので成人してからは感謝しております。
それに対して母親は、優しく、父に怒られた私をフォローしてくれていました。
厳しい反面、当時としては贅沢な海外旅行に何度も連れていってもらいました。
そのおかげで、海外に対する興味が小学生の頃からあり、中学生になってからも英語の授業が好きでした。歯科医師になってからも、海外の文献で新しい治療技術を学ぶことにストレスなく取り組めているのはそんな両親のおかげだと感謝しております。
中学校と高校は都内の男子校に通いました。池袋に近い学校ということもあり、勉強を妨げる誘惑に負けることも多々ありました。ただし、この頃覚えた遊びも大学生活、社会人生活には大きく生きたので今となっては良かったと思っています。そして念願の歯学部に無事合格しました。
大学生活での出会いや経験で人生が大きく変わりました。
1つ目は現在の趣味でもあるウインドサーフィンと出会えたことです。海からは多くの学びあります。また、オリンピック選手や全日本代表選手との合宿なども経験し、世界を意識するようになりました。これは現在の私にとって核になる部分で、歯科医師になりたての頃から海外の文献で勉強することに抵抗がなかったのは学生の頃から、日本の中だけを見ていても技術は上がらないことをスポーツの世界で経験していたからです。また、後輩の育成の楽しさを知ったのもクラブでの経験からでした。自分の育てた後輩が、全日本の上位選手になったことが、現在、後輩ドクターの育成に取り組むきっかけを作りました。
2つ目は、父を20歳でなくしたことです。父の跡を継ぐ予定でいた自分の人生プランは完全に崩れ、全て自分で自立していかなければいけないという不安が大きくのしかかりました。父親をなくしたこと自体もショックな上に、しばらくは先が見えない不安でいっぱいでしたが、今となっては20歳にして、5年後、10年後、20年後の人生設計を明確に自分自身で考えるきっかけになった点で良かったと思います。
3つ目は親友に出会えたことです。大学1年生2年生の頃は遊びに夢中だった私に読書を勧めてくれたのも親友ですし、クラブの運営や後輩の指導の仕方をディスカッションしたり、将来の夢を語り合ったことが、今の自分の大きな支えになっています。 4つ目は目指す道が見つかったことです。大学の先輩である、当時若手で頭角を現していた先生の、歯周病とインプラントに関する素晴らしい講演を聞き、これが自分のやるべき道だと、将来の自分が楽しみで光が見えたような思いでした。歯周病とインプラントを中心に治療や研究をするきっかけになったのがこの出会いでした。
大学卒業後は、東京医科歯科大学歯周病分野に大学院生として、治療だけではなく、研究をするために4年間在籍させていただきました。学生の頃にどのような歯科医師になりたいか明確に決まっていたおかげで、何の迷いもなくいろいろなことを学べ、また、多くの出会いがありました。現在、私を指導してくださっている、吉野敏明先生や土岡弘明先生と毎週ディスカションさせていただいた日々が現在の大きなベースになっています。また、現在も一緒に勉強している仲間や後輩ともこの頃に多く出会いました。東京医科歯科大学の大学病院には、全国からいろいろな熱い思いを持って集まった歯科医師が多数おり、そこで若い時期に様々なことを議論し合ったことが、その後の歯科医師人生にも大きく影響しております。
数年間、別の歯科医師に貸していた、川口市芝にある父の歯科医院を新たにリニューアルし、新たによしの歯科医院を開業することになりました。歯科医師になって勉強した4年間で得た知識を還元し、患者さんに歯周病という病気は必ず治ることをしっかり説明したい一心で、日曜日も大晦日も診療し、毎日深夜すぎまで診療所にいる毎日でした。一見、凄まじいい生活のように思えますが、毎日後輩ドクターが一緒に付き合ってくれたおかげで、辛いと思ったことは一度もなく、治療中の患者さんの写真やレントゲンなどの診療記録を整理したり、技工をしたりするのが楽しくて仕方ない日々でした。2年間がすぎ、学生の頃から憧れていた大学の先輩である師匠に近況を報告したところ、もっと多くの患者さんと、多くの後輩を指導出来る大きな規模の医院を作るようアドバイスをいただき、現在の吉野歯科医院を川口駅近くに新たに開業させていただきました。当時の私には、その規模は荷が重く感じましたが、師匠の言葉を信じ毎日診療していると、むしろもう少し、大きな規模で診療すべきだと感じるほどになりました。人生の大きな岐路において2度も救ってもらった先生は、現在、世界的にも通用するドクターとして活躍しており、自分もそのようになるべく今後も努力していこうと思っております。
以上を心がけて、日々の診療を行っております。